2006年6月3日
ルオー展
名古屋市美術館で開催されていたルオー展、またまた気がついたら会期終了間近! ということで、色々と用事がある日だったが、伏見へ行ったついでにどさくさにまぎれて見てきた。
展覧会は1階部分が「初期作品」、「サーカス」、「女性たち」、「キリスト」、「ミセレーレ」、「聖なる風景」、「後期の作品」の6つのセクションに、2階が「ユピュおやじの再生」、「サルタンバンク」、「回想録」、「流れる星のサーカス」、「受難(版画)」、「受難(油絵)」の連作6つのセクションに分けられて展示されていた。ラベルの作品番号がばらばらなので後で図録を確認したら展覧会の並びと図録の並びは全く違っていた。展覧会の構成と図録の構成、二度美味しいアレンジになんとなく得した感じがする。以下、観た順に感想を。
はじめの最初期の「湖」「キリストと弟子たち」はやっぱりモロー的。後年のあの独自の厚塗り画面からは想像しがたいけど、師のモローの死後はショックで描けなかったと言うから相当に影響を受けていたんだと思う。ルオーと言えばステンドグラス風、というワケで、早くもその片鱗が形から見えるのが両面に描かれた作品。「曲馬団の娘」と「水浴の女たち」は紙にグワッシュでわずかながら光を通すので透明感がある。壁をくりぬいたような展示方法もそれをよく見せてくれている。裏表で反転した構図ながらそれぞれに着色しているので違う絵になっているのがわかる。紙に水彩の「サロンにて」は金持ちの女性の傲慢さが感じられる絵だが、その肌の質感は見事だ。ルオーは早くから透過光のような質感に注目していたようだ。
サーカスのセクションではやっぱり道化師。大原にある横顔の道化師の絵が好きなので、ルオーの道化師がでてくるとなんとなくわくわくしながら観てしまう。「正面を向いた道化師(半身像)」はもしかして自画像だろうか。大胆にして繊細な表情の描写がとてもいい。
女性たちのセクションでは、「バッカス祭」など、造形にもどんどん工夫があるのが楽しい。道化師シリーズから一貫して、人間の内面を描きだすような迫力が画面からにじみ出ているのもいい。この時期の作品が一番好きかも。「水浴の女たち」に至ってはほとんど抽象。なおさら人体のつくる造形への関心が伺える。「好戦的な女神ヘカテ」はブルジョワジーのメタファーだろうか。敬虔なクリスチャンだったルオーでもギリシャの女神を描いているところが興味深い。やはりヨーロッパ文化の根底にはギリシャが流れているのか。それとも多神教の世界(一神教のキリスト教の立場からは邪教の世界)を敢えて物質主義的なブルジョワにかけた皮肉なのだろうか。あと気になったのは、「レナ」と「X夫人」の対比は、前セクションの「ピエロ」「正面を向いた道化師(半身像)」と同じ効果を狙った展示?
次いでキリストのセクション。「辱しめを受けるキリスト」など、画題の重々しさがとてもストレートに伝わってくる。「キリストと盗賊」にはなんとなく中世のような価値観があるのかもなぁと思う。
つづくミセレーレの連作は展示替えがあって一部だけだが、以前に東京の汐留のNaisミュージアムが開館したときに観たのを思い出した。モノクロームながら劇的な画面、人物描写の冴えが感じられる。解説によると版を削ったり磨いたりと何度も手を加えてこの深みある画肌をつくったのだとか。盛り上がった油絵もそうだけど、版画でも基本的にはステンドグラス職人の工芸的な手仕事の延長だったのかもしれないなぁ。
風景のセクション。「放蕩息子の帰宅」は不鮮明ながら雰囲気はよくわかる。レンブラント作品がとても有名なこの画題は、色んな画家たちのを見たけれど、こんな左右対称の構図は珍しい。「エクソドゥス」「たそがれ あるいはイル・ド・フランス」「伝説の風景」あたりはまさにステンドグラスのような光を感じる絵。次の「聖書の風景〔風景(運河)〕」や「逝きし人々の入江」もステンドグラスだなぁ。風景の中の人影も叙情性を引き立てていてとてもいい。
厚塗りの下地に透明色を重ねて重ねて彩度と透明感を増すルオー絵画、その真骨頂のような作品「葉子」はさすがにちょっと盛り上げ過ぎなんじゃないかと思った。思わず横から見てしまった。絵の凸部分が重ね塗りのせいで滑らかなのが面白い。あと、展示のラベルを見ていて気がついたのだけど、油絵は殆どが紙に描かれている。紙に描いたことはないのでよくわからないのだが、溶き油やメディウムの成分がにじみだすのではないだろうか。最初のほうにあった両面に描かれた作品みたいな半透明の支持体に描いたような状態かもしれない。展示作品の多くはキャンバスで裏打ちされていたけど、ルオー作品の透明感は紙という素材によるところもあるのかも・・・。
2階にのぼると、冒頭に書いた通り「ミセレーレ」以外の連作がまとめて展示されている。「ユピュおやじの再生」は戯曲をモチーフにしたルオーの版画集第一作とか。ふてぶてしくどっしりした白人と軽やかで楽しげな黒人の対比はあの金持ちへの皮肉に通じる。個人的にはやっぱり黒人の描かれた作品にアフリカの匂いを感じてしまう。ルオーはアフリカには行っていないだろうけど、アフリカに植民地をもっていたフランスならではのアフリカへの親近感のようなものはあったのかもしれない。「回想録」は同時代の画家や作家へのオマージュで、他の作品群とはちょっと毛色が違う。「流れる星のサーカス」はもともと別の物語につけられた挿画だったが紆余曲折を経て後年日の目を見た作品とか。詳しい経緯は図録に書いてあるが、オリジナルが出ていたら評価も変わっていたのだろうかと余計な所が気になった。銅版画に彩色されたアクアチントがまことに美しい。そして、版画と油絵の「受難」は友人シュアレスの詩に絵をつけたものとのことだが、このシュアレスの詩から得られた直感がその後のルオーの宗教画へのインスピレーション源になったらしい。残念ながら展示作を観てそこまでのことはわからなかった。しかし、ほとんど浮き彫りと呼んでもよさそうな油絵はそのマチエールといい発色といい、なにか特別な思い入れがないと到達しない精神性があるような気がした。あと、本の実物も展示されていたけど、浮き彫り的な絵を見せる表紙がとてもいい。いずれの挿絵も本の表紙を意識して描かれたのかもしれない。こういう豪華な詩画集という形での作品発表、もしかしてルオーが契約の民であるクリスチャンだったからこその発想だったような気がしてきた。
今までテーマ別に展示されてきたルオーの作品群が最後に「受難」の連作でしめくくられる企画側の手腕には最後の最後で唸らされてしまった。ちなみに図録では「ミセレーレ」が最後を飾っていて、それぞれ展示と読み物とを分けた編集がされているのだろうか。ルオー作品自体から離れるけど、その見せ方の違いがとても興味深い。裏をかえせばそれだけ多様なアプローチをしても伝えきれない魅力と世界観がルオーの作品にあるということかもしれない。
さて、常設展示もついでに観て来た。やっぱり巨大な抽象画や立体はワケが分からないので、いつもどおり素通り。ここの常設ではエコール・ド・パリとメキシコ絵画ぐらいしか観ないのでいつもすぐに通過してしまう。展示室6でも小さな企画展があったので入ってみると壁面に同じような正方形の板が等間隔に貼付けてあるだけ。・・・・? またも現代アートに一杯食わされたかと苦笑いしながら、この展示室の受付のところで聞いてみると、パンフレットを渡されてひととおり説明してくれた。桑山忠明ワンルーム・プロジェクト2006という、名古屋市美と愛知県美の共同企画。桑山氏は日本画科卒で抽象画をやり、独自のピュア・アートにたどり着いたと言う。絵画的な表現を極限まで排除した工業製品のような絵画だそうで、なるほど一見建築素材のショールームみたいな展示だ。受付兼監視員の方によると、見る角度によって光の反射が変わって違う色に見えるのだとか。なるほど。ピュア・アートの概念云々はさておき、素材の塗装(?)を生かしたこういう表現はそのまま建築素材として応用できそうで面白い。桑山氏が日本画からスタートしたということもあって、現代的な見せ方の中に日本的な材質の扱いが潜んでいるような感じがする。ステンドグラス的なルオーの後に観たせいか透過光と反射光による洋の東西の表現の違いに思いを馳せてしまったのかもしれないなぁ。これももしかして美術館側の狙いなのだろうか。
2006年4月21日
藤田嗣治展
4月後半に突然入れた用事の東京滞在。今回も3月同様GISソフトの講習会。5月以降は仕事で自由に動けないから今のうちにというのがその理由だが、ホンネとしては頂きものの展覧会の招待券を有効利用させてもらおうというのも理由の一つ。で、この日は夜に池袋で予定があって、それまでちょっと時間があったのでこの藤田嗣治展を観てくることにした。
中目黒での用事が終わってから地下鉄を乗り継いで竹橋の東京国立近代美術館へ。テレビや雑誌で頻繁に取り上げられていて話題の藤田嗣治展は土日は混雑必至という事なので夜間特別開館の金曜日を狙ったのだけど、読みが甘かった。美術館に着いた時は既に満員電車状態でチケットを買うのにも並ぶ有様。
展覧会は時系列で大きく3つの章に、さらにそれぞれ複数のセクションに別れた伝記本のような構成になっている。「I章 エコール・ド・パリ時代」中に「I-1 パリとの出会い」「I-2 裸婦の世界」、「II章 日本へ」中に「II-1 色彩の開花」「II-2 日本回帰」「II-3 戦時下で」、「III章 再びフランスへ」中に「III-1 夢と日常」「III-2 神への祈り」という内訳。だいたいI、II章はとびとびに人垣の隙間からほぼ順路どおりに観ることが出来たがIII章は時間もなかったので横目でちらりと観ながら通り過ぎたような状態になってしまい、とても鑑賞したなどとは言えない。とりあえず気になった作品などを拾い上げつつセクション毎の感想を綴って行くことにする。
I-1
まだスタイルが決まらない時期のもので実に色んな描き方をしている。パリに渡って様々な影響を受けているのがよくわかる。これといって気になったものはないのだけど、モジリアニ風の1918年「二人の女」には独特の存在感があった。
I-2
「裸婦の世界」と題したこのセクションでいきなり藤田の自画像(なんでやねんと心の中でツッコミ)。この作品は以前にテレビ美の巨人たちでもとりあげられていた、その後の「乳白色」を予感させる作品。藤田自身よりも背景や周りに描かれたものの描写にこだわりがあって、モチーフにはなんとなくメッセージがありそうな感じがする(具体的にはよくわからないけど)。この自画像に続いて、乳白色の裸婦の大作が幾つか並んでいる。1923年の「五人の裸婦」は解説によると五感の寓意なのだとか。この絵は2003年に大原美術館の別館で観たのだけど、他の大作2点と並べられていたためかその時はそんな寓意には全く気づかなかった。イコノロジーとまではいかないまでも絵の内容に寓意を込める藤田の視点には伝統的な西洋の古典絵画の影響を感じてしまう。現代の表現主義一辺倒の美術関係者には低評価されがちだけれど、寓意的解釈を込めた表現も立派に人の手による表現の技なのだと思う。そう思うと、多くみられる猫と裸婦の組み合わせには単に猫が好きで描いていただけではなさそうな気がしてくる。猫は女性と通じる、あるいは同一の存在であり、かつ藤田自身も投影されていて、藤田と女性、彼の作品の背後にある西洋美術、あらゆるものをつなぐ役目を果たしている。こういうキャラクターによる独自の絵画世界には彼一流のユーモアと主張があって痛快ですらある。
裸婦の絵に戻ると、他の作品も含めて滑らかな画面と迷いのない線が気持ちいい。それにしてもいずれも作品ラベルの技法・材料欄に「油彩・キャンヴァス」と表記されているのが気になる。自画像にしばしば描かれているとおりなら墨も使っていそうだし、いろいろ工夫してこのマチエールを作っているのならもはや油彩・キャンヴァスでくくれないような気がするのだが・・・。
このセクションにはほぼ10年ぐらいにわたる裸婦画や自画像が紹介されていて、主に乳白色表現が洗練されて行く様子が分かって面白い。しかし、中には意外な作品もあって、例えば1930年の「死に対する生命の勝利」などカラフルで油絵らしい画肌の作品もあって新鮮だった。これはモチーフもシュルレアリスティックで時代の影響を感じさせるが、骸骨なんかにはデルヴォーあたりのベルギー絵画の雰囲気がある。デルヴォーとのつながりは全然言われていないけど、時に無表情な裸婦には共通点もあるし、横たわる裸婦のポーズなどはデルヴォーのビーナスに瓜二つだ。時代もほぼ重なっているのが気になる所ところ。ベルギーつながりでその隣に展示されていた「三人の女」はアンソールっぽくも見える。
II-1
「色彩の開花」のセクション名のとおり、今までの乳白色は姿を消したカラフルな作品が並んでいる。前半の「町芸人」「カーナバルの後」「窓」「室内の女二人」などは猥雑な画題に似合うギトついた油絵の画肌で以前にはなかった量感の表現に関心が移っていた様子が伺える。後半は南米の市井の人々がモチーフになっていて、紙に水彩で描かれているせいか以前の雰囲気が復活している。人物の周りを縁取るように描かれたハローのような薄墨が印象的。この中で一番気に入ったのは1932年の「ボリビヤの女」。南米には行ったことがないけれども、アンデスに生きる人物の存在感がリアルに伝わってくる。赤茶けた色合いも実にいい。このセクションでの作品はアメリカ大陸を南北に縦断した時に描いた作品とのことで、ヨーロッパ以外の文化に触れて刺激された新鮮な感動が伝わってくるように思う。
II-2
このセクションはアメリカ大陸の旅行を終えて日本に帰国した後の作品。セクションタイトルの「日本回帰」は地理的な意味だけではなく藤田の心理のことについても表したタイトルであることは作品からにじみだす日本文化への親近感と洞察眼からほぼ自明である。日本でも藤田にとって新鮮な刺激であっただろう沖縄の人々や同じ東洋というくくりで見た中国の人々を描いた作品は、その着衣はもちろん人物像や背景まで以前の作品には見られない写実性があっておどろいた。西洋絵画のリアリズムを体得して、自らのルーツも含めた非西洋民族の芸術と背後の普遍的な人間性に挑んだその姿勢には深く共感できた。ここでとくに気に入ったのは1934年「ちんどんや職人と女中」「魚河岸」「力士と病児」、1935年「北平の力士」、1938年「客人(糸満)」「孫」といった作品。あ、あと1936年の「自画像」も今までのパリの自画像にはなかった力強さがある。調度品や室内の木目の描写にも鬼気迫るものがある。この作品と「我が画室」「私の画室」はまるで広角レンズの写真のような歪みがあるが、写真を参考にしたのだろうか、それともそれぞれの角度を向いた画角を組み合わせたのだろうか、というちょっと下世話なことも考えてしまった。他には1940年の「猫」も面白い。画面一杯にひろがって喧嘩する猫、猫、猫・・。解説にはもともと「争闘」というタイトルがつけられていたとあったが、これは明らかに戦争のメタファーだろう。軍国主義の時代背景からもそうとしか思えないのだけど、なんとなく北方ルネサンスのような暗喩に藤田の西洋古典絵画への造詣を垣間見たような気分になった。
II-3
このセクションにあるのは戦時下に従軍画家として制作した戦争画の大作5点。このあたりから時間がないのと混雑とでろくに観られていない・・・・のだけど、気になった2点の感想を。
1942年の「シンガポール最後の日(ブキ・テマ高地)」は遠景に描かれた煙が焦土の焦げ臭さを感じさせるがそこに差す陽光がなんとなくタイトルの「最後の日」と連動して希望の光に見える。この希望の光とは戦争の勝敗に関わらず、戦争が終わって平和になることに対する希望。その光の延長上と中央よりやや左で対話している兵士たちにもそんなメッセージがこめられているかのように思える。
1944年の「神兵の救出到る」は、制作年といいタイトルといい敗戦間際の日本の負け惜しみのように思えるけど、これは従軍画家に指示された画題なのだろうか。目を引いたのは左側からさす光と日本兵の姿と縛られた現地の女性の姿で、「聖マタイの召命」じゃないがバロックのキリスト教絵画を連想してしまった。画中画にあるバロック風の二点の絵画も、藤田が学んだヨーロッパ古典絵画との関連を示して余りある気がするのだが・・・きっとこれらを通して伝えたかった藤田のメッセージもあるんじゃないかなぁと思う。
III-1
戦後ふたたび日本を離れてフランス入りする藤田。「夢と日常」というテーマ。最初の1946-48年の「優美神」はまるでルネサンス絵画。地面にびっしり描かれた野草と花々がひとつひとつ違う所からもボッティチェリの春を連想してしまう。その後は擬人化された動物たちや子供が沢山ひしめいていたりするわりと小さめの作品が多い。描線が明確で絵本の挿絵のイラストレーションのような趣がある。子供の絵など、それまでとはかなり違った印象。このセクションは殆ど観られなかった。
III-2
「神への祈り」と題されたこのセクションでは、藤田が後年カトリックの洗礼を受けるに至る信仰心を示すような宗教画が展示されている。絵の感じは前セクションと同様。ここもちらっと横目で見ただけだが、1963年の「マドンナ」が印象に残った。褐色の肌の聖母はエチオピアの女性のような雰囲気がある。なぜ藤田がこの絵を描いたのかは知らないけれど、敬虔なキリスト教(エチオピア聖教)の国エチオピアのイメージにぴったりだった。
というわけで、会場でリストに書き込んだメモと図録を頼りにふりかえってみたけど、終盤は満足に見られなくてとても残念。この展覧会は東京のあと京都と広島に巡回するらしいので、京都巡回時にでも帰省する機会があればもう一度観に行こうかと考えている。
2006年4月8日
加山又造展
松坂屋美術館で開催されていたこの展覧会は一昨年に他界した日本画家の加山又造の大規模な回顧展。実は、いままで加山作品は単独で展示されているのはしばしば観た事があったものの、それほど惹かれるものはなかった。ポスターが駅近くのスーパーに貼られていたので展覧会のことは知ってはいたのだけど、行こうかどうしようかと迷っていた。前日にたまたま妻が観て来た話を聞いたので、観に行くことにした次第。結論を先に言えば観に行って大正解だった。この展覧会で加山又造の見方が大きく変わってしまった。
展示は「I.西洋美術への接近 -日本画革新の騎手として-」、「II.伝統美への回帰 -琳派、大和絵への様式化-」、「III.愛しきものたち -裸婦と動物-」、「IV.水墨への挑戦 -装飾性と簡潔性-」の4つのセクションに加えて会場中程に裸婦の素描、最後に版画をまとめた展示スペースが用意された構成になっている。ここでも作品リストがなかったので、たまたま持っていた紙きれに気になったものをメモしながら観て来た。
最初の「西洋美術への接近」セクション。ポスターに使われていた枝垂れ桜と三日月が美しい「朧」はその意匠的な桜の花弁にとても日本美術らしさを感じたので、なんで西洋美術への接近というセクションなのだろうと疑問に感じた。意匠的というのは5枚の花びらがきれいにこちらを向いてまるでスタンプで押したかのように描かれているのでそう思った次第。しかし全体としてこの意匠的花弁の重ね合わせが見事に夜桜らしくなっている。濃淡で描かれた奥行きが闇にとけ込んでいるようにも見え、幻想的ながら桜の美しさをひきたてている。この時期の展覧会のポスターに選ばれるべくして選ばれた作品といった感じ。「月と縞馬」は夜のサバンナにシマウマがいる絵だけれど、3頭のシマウマが重なって描かれていて実に面白い。1頭は水場で水を飲み、もう1頭は頭を上げ、もう1頭は後ろを向いている。背景には草原が広がり丘が見え、夜空に不思議に変形した月が浮かぶ。1954年の制作。もしや日本画でシュルレアリスムをやっていた?! ちなみにラベル下の解説では砂漠にいる縞馬だと書かれていたけど、これは草原の間違いだと思う。解説を書いた人には植生のない丘が砂丘に見えたのかもしれないが青緑色の色調と言いシマウマの居る水場と言い、あれはアフリカのサバンナの光景である。同様にシュルレアリスティックな作品が続くが、短冊状に分割された太陽と乱れ飛ぶ黒い鳥のつくるリズミカルな画面が印象的な「白い太陽」、同じ路線の「冬」、一羽のうつむいたカラスが木立と一体化して画面を支配する「凍る日輪」あたりがとても気に入った。画面をよくよく見ると紙をくしゃくしゃにして皺をつけているようだが、とても面白い効果だと思う。
次、「伝統美への回帰」セクション。展示作品の年代的には60年代が重複してこちらが後になるが、前のセクションの延長のようにも見えた。ちょっとやり過ぎ感のある大作1958年「夏の濤・冬の濤」などもあって、セクション名の通り琳派を意識したような作品が並んでいる。琳派的な美意識をもともと持っていた人なのだろう。1978年の「千羽鶴」はモノトーンの波模様にぽっかり浮かぶ満月を背景に沢山の金の鶴が舞う絵だが、まさに琳派に通じる様式美。これが帯になっていたら妻の着物に合うだろうなぁなどと想像したのだけど、後で加山が手がけた着物が展示されていて笑ってしまった。あと、「雪」、「白雪の嶺」、「雪晴れる」といったアルプスを思わせる作品も多かったが、対象に迫った構図で琳派的なだけではなく近代の視点も感じる。
続く「愛しきものたち」のセクションでは、なんといっても1965年の「若い猫」に釘付け。様式化の延長にありながら猫独特の緊張感と柔軟さがにじみだしている。球体を意識した眼と毛並みの表現もリアル。つづけて展示されていた「猫と牡丹」、「微風」よりもはるかに良い。動物画につづいて裸婦。制作年などのラベルのない素描が沢山ならんでいたのだけど、これらはクロッキーだろうか。エコール・ド・パリの藤田の描くヌードを連想させる。下書きの線(のあと)はあるが、一本の線を探し出す様子が伺えて興味深い。絵とは関係がないけど、紙の左上に加山のサインをかたどったエンボス加工があったのが気になってしまった。この素描のあいだに展示されていた1974年の「裸婦習作」は習作とは名ばかりの出来だが、背景がレースになっていたり立体感ある陰影があったりしてもはや日本画にあらずといった感じがする。1976年の「黒い薔薇の裸婦」は4通りのポーズをとるファッションモデルのような女性がその体を部分的に黒いレースで覆っている作品で、黒いレースが中東のヘナの装飾のようにも見える。これ、よく見たら黒い背景にもレース模様が連続しているのだけど、描いているのではなくてレースをそのまま貼付けていたりするのだろうか。唇、爪、乳首の赤がアクセントになっていてモード的な洗練がある。あと、このセクションでは動物や裸婦ではない1966年「華扇屏風」も展示されていた。まるで岩石のような背景に扇形の窓が開いたように描かれていて発想の柔軟さを感じた。
4番目のセクションは「水墨への挑戦」として水墨画がまとめられている。制作年代は80年代、90年代が中心で画業後半のものばかり。割と大きな作品が多い。「雪の渓谷」、「雪ノ渓」は俯瞰構図と木々の枝が遠近感を出している。雪の載った枝も様式美をもったリアリズムという感じですっきりしている。「凍れる月光」は冷たい空気が感じられながらも存在感があって迫力満点。「月光山嶺」もいい。「○北宋水墨山水雪景(○は「ニンベン」に「方」の字、「倣」と同義)」は題名通りの中国写実絵画の趣き。因みに北宋画は、文人画とも呼ばれた理想主義的な南宋画に対して写実描写を特徴とする絵画形態とのこと(高校時分に世界史で習ったような・・・)。加山がどこの風景を題材にしたのかわからないが、なるほど岩山の節理の描写がリアル。中央上方の節理の向きが全く違っているのが面白い。点々と木々が連なり、雪がかぶさっている様子はずっとながめていると鉱物結晶の表面にへばりついた地衣のようにも見えてきてミクロとマクロのダブルイメージなんてのも面白いなぁなどと、絶対に描いた側は考えていなかったような事を想像してしまった。あと、金地に黒と白の牡丹の花がどどーんと描かれた「牡丹」も面白い。これだけなぜか畳の上に展示されていたのだが、金屏風はこうやって観ないとわからないということなのだろうか。
最後におまけのように版画ばかりを集めたスペースがあり、中央に着物が展示されている。版画はメゾチントやアクアチント、ドライポイントなどの小品で、割と気楽に楽しめた。コースでいうデザートみたいな位置づけ? 版画作品で印象深かったのは、まず「かみきり」「玉虫」「すずむし」の昆虫シリーズ。ちょっと離れて展示されていた「薊」もキアゲハが描かれていて薊の棘と赤色とキアゲハのモチーフが美しい。それから、再び「カラス」「黒い鳥」が観られたのも嬉しかったし、「越後風景」は地味ながらも品があってよかった。波模様に三日月が旗のデザインにでもなりそうな「月」、グッピーを縦に並べた「熱帯魚1988」、タバコと唇が闇に浮かぶ「闇の幻想」はモード系の延長のようにも見える。そういえば寝た姿勢の「レースの裸婦」もあったが、女性を描いたものでは和装の「はなびら」「撫子」の方が良い絵だった。メゾチント作品に共通することだけど、「千鳥とほね貝1989」なんかは長谷川潔のような趣きがあって、もしかして影響があったのかも・・なんて思ってしまった。あと、桜と炎が並んだ「花」は速水御舟へのオマージュだろうか。なんだかこの版画シリーズ、デザートみたいに気楽に楽しめると言っておきながら結構しっかり観てるなぁ・・・かくもデザート別腹説は展覧会にも通じるものか。
いつものことながら支離滅裂な感想文になってしまったけど、まぁそれだけ記録に留めておきたかった内容だったということで。
2006年3月26日
没後50年 モーリス・ユトリロ展
会期終了が迫ったこのユトリロ展、幸い前日に妻の実家で残っていた招待券をもらっていたので出かけて来た。午前中に整体に行く予定があって、体がほぐれたあとに外出ついでで名駅に向かう。会場はジェイアール名古屋タカシマヤ10階の特設会場。日曜日の名駅は東京並みに混雑するのをすっかり忘れていて、会場入り口付近に停滞する人混みにちょっとウンザリ。受付で作品リストがないか訊ねたがないとの返事にさらにウンザリ。でもまぁ、招待券で入ってるんだし気楽に見てこようと人垣の隙間をぬって作品と解説パネルを鑑賞してきた。展覧会は丁寧な解説付きでユトリロの生涯を順に追った構成になっている。
この展覧会はユトリロの全盛期ではない作品が多いせいか、絵画展としてはぱっとしない内容だった。絵だけを見ればおそらく半数以上が駄作だ。しかし、要所要所に用意されていた丁寧な解説が絵の退屈さを補っていることに気づいたら、なかなか意味深い展覧会だと思えた。解説パネルは白の時代、色彩の時代、母ヴァラドンやユッテル、妻リュシーについて、ユトリロの女性観や信仰について、アルコールについて・・・と割と細かく説明されていて、読んでいるとユトリロのキョーレツな人生と画家という呪われた職業、そして経済社会と個人のあり方についていろいろと考えさせられた。同じ経済社会の辺境(あるいは底辺?)に生きる人間としてはユトリロには共感できる所すらあった。しかし展示数(約80点)の割に、作品の内容がイマイチだったのでユトリロの人生の痛々しさのみが印象に残りやすい感じがする。
ユトリロについては何度もテレビでとりあげられていたりするのでなにを今更・・といった感があるが、一応その生涯を簡単におさらいするべく広告ビラ裏面のユトリロの略歴を引用しておく。
ユトリロ略歴
1883年 パリ・モンマルトルに生まれる。
1891年(8歳) ミゲル・ウトリーリョ・モルリウスによって認知され、以後ユトリロの姓を名乗る。
1896年(13歳) パリのロラン中学校に入学。飲酒癖がひどくなる。
1904年(21歳) パリのサン=タンヌ精神病院に入院。退院後、医師の勧めで絵を描くようになる。
1914年(31歳) モンマルトルの建物や風景を重厚なマチエールで描く独自の世界を築き上げ、この頃<白の時代>の絶頂期を迎える。そして、精神病院への入退院を繰り返す。
1928年(45歳) レジオン・ドヌール勲章シュバリエ章を授与される。
1935年(52歳) リュシー・ヴァロールと結婚。
1938年(55歳) 母ヴァラドン死去。
1955年(72歳) 南仏ダックスにて死去。モンマルトルに埋葬される。
さて、以下、もうすこし細かい展覧会の感想。
展覧会の出品作は約80点のうち約20点が本邦初公開とのこと(どうして「約」がついてるのかは不明)。ユトリロといえばモンマルトルの白壁の街並を描いたものを思い出すが、その大半が白の時代と呼ばれる30歳くらいの時のものなのだそうである。アル中のリハビリで絵を描き始めてから6〜12年ほど経った時期に描いた作品で、漆喰の質感を再現するためにいろいろ実験的にマチエールをつくっていたらしい。私生児として生まれてから母の愛情に飢えて酒浸りになる孤独な生い立ちを知ると、孤独を塗り込めるように漆喰の壁に固執したという解釈にも頷ける。この時代の詩情あふれる画面は結構好きだ。1911〜12年の「マリジー=サント=ジュヌヴィエーヴ教会、フェルテ・ミロン近郊」、「モンマルトルのアブルヴォワール通り」あたりが壁のマチエールが重厚でとてもユトリロらしい。1912年の「ラパン・アジル」は冬の木立と曇天が詩情をひきたてている。同じ「ラパン・アジル」を1916〜17年頃(同じく白の時代)と1933年(後の色彩の時代)にも描いたものが展示されていたが、前者は夏バージョンで青々と茂った木々と木陰の二人の人物が全く印象を変えていて、思わず描き手の心境を想像してしまう。後者は晩秋なのかちらほらと葉が残り、数名の人影が見える。冬と夏のものに比べるとどうも中途半端に見えるのは「売り絵」として描かされたものだからだろうか。あと、この白の時代にしては1912年の「サノワの風車」はちょっと異色でロマン主義風の空がとても印象的だった。
しかしユトリロの表現者らしさを感じるのはこの白の時代だけと言ってもよさそうだ。絵が売れ始めて母ヴァラドンに頼られるようになると、孤独を塗り込めるのではなく母親を振り向かせるために絵を描くようになって様子が変わる。それが色彩の時代。1919年の「サン・ヴァンサン通りと藁葺き屋根の家」は街灯のある街並や構図は好きだが色彩の時代というほどの色彩は感じられなくて重厚さもなく物足りない。1922年の「ムーランの大聖堂」「リムールの教会」は黒い線が印象的で先日観たビュッフェを連想したが、油がもたついていてべた塗りになっているので絵の深みに欠ける感じがする。1923年の「ベ市のプロテスタント寺院」、1924年の「サン・ベルナールの風景」あたりは鮮やかでコントラストも効いているのでこの時代のものでは良い方なのかもなぁと思う。
ちなみに説明用のパネルには「色彩の時代 - 貨幣鋳造機」という皮肉な見出しまでつけられていたが、当のユトリロは安酒のために絵をそうとう安く売っていたようである。「画家ユトリロの誕生」「画家としての自覚」という見出しのパネルによると、ユトリロ本人だけではなく周りの人々にも絵の価値を知らずに安値で売り買いしていた人々が多かったようだが、それならこれが本来の形なのだろうと思ってしまう。美術品のべらぼうな高値のイメージはあくまで画商がヤクザな商売をしているせいで定着した部分が大きいのだと思う(すべての画商がそうではないと信じたいケド)。
説明のパネルは「ユトリロの女性観」「母ヴァラドンの生い立ちと転機」「ヴァラドン、ユッテル、ユトリロ - 奇妙な三位一体」としてまた別のユトリロ像を伝えてくれていた。母親のシュザンヌ・ヴァラドンが魅力的な絵を描く一方で幼いユトリロを置いて遊びまわっていた話は有名だが、そのヴァラドンの母親、つまりユトリロの祖母も罪人との間に私生児としてヴァラドンを生んでいたりしてまたなかなかにスゴい人生を送っていたのには驚いた。母性愛に飢えているユトリロが神聖視していた女性はその母ヴァラドンとフランス史の英雄ジャンヌ・ダルクだけで、他の女性は嫌悪していたという。酔っぱらって市井の妊婦を見かけては攻撃したなどという危険人物ぶりにはそういう背景があったのか。また、ユトリロの描く奇妙に腰の張り出した女性像はこの女性嫌悪の現れだったというフロイト的な解釈も紹介されていてとても納得できる話だ。
色彩の時代の後、母ヴァラドンはユトリロよりも年少で友人だったユッテルと結婚し、金の成る木ユトリロを閉じ込めて売り絵を描かせて二人はその金で贅沢三昧の生活を送っていたらしい。この頃の絵は油絵の代わりにグワッシュを使って軽く描いていたりして、昔の塗り込めた重厚感は見る影もない。デュフィあたりに通じる軽やかな線の静物画などもあってとてもユトリロ作品には見えなかったりするのだけど、本当にユトリロの絵なのか? と疑いながら観てしまった。
そして、ユトリロは52歳で結婚して母親夫婦とのクレイジーな関係を終わらせるのだが、その結婚相手リュシーは美術コレクターの未亡人で画商、ユトリロには美術市場で人気のある昔の「白の時代」の作品を模写させるようになる。そのユトリロの作品1点に自分が描いた絵2点を抱き合わせて法外な値段で売っていたと言うから実に悪徳である。おまけにユトリロには水で薄めた安ワインを飲ませていたとの話で、ユトリロの気持ちを想像するといたたまれなくなってくる。
そしてユトリロは最愛の母ヴァラドンの死後、一日の大半を母への祈りに費やすようになって生涯をとじる。母親がいわゆる無神論者だったので洗礼を受けていないユトリロだが、そのあたりの心理が少し興味深い。
ユトリロにとっての絵画はもともと治療のための安定剤だったが、同時に心の隙間を埋める代償行動でもあった。その象徴的なこだわりが漆喰の壁への執着であり、そうして描かれた初期の作品には表現者としての凄みがあるように思う。しかし色彩の時代以降の半端な作品群を見ると、解説パネルでもほのめかされていたように、ユトリロは芸術家である前に愛情に恵まれない孤独な人間だったのだなぁと強く感じる。輝きを見せた全盛期の作品と冴えないその後の作品群、また金づるとして搾取されて制作した売り絵の数々をまとめて観ると、絵の善し悪し以前にひとりの孤独な人間としての素朴な姿を表現し続けたのかもしれないと感じた。表現できていないことも含めて表現しているというのはなんともイヤミな解釈だけれど、その意味ではとても純粋な表現者だったのだと思う。
それにしても、この展覧会で浮き彫りにされていたもうひとつのこと、美術市場の金儲け主義の側面もとても痛々しいものだった。安ワインを水でうすめて飲ませながら監禁状態で売り絵を描かせるのは少々極端な話だが、この極端さがかえって芸術が経済力に支配される現状を象徴しているようにも見える。もちろん、いいものが評価されて高額な値がつくのは悪いことではないし当然だと思う。ただ、(本来ビジネスにされるべきものではないとは思うのだが)少なくともきちんと画家の絵画世界が評価されなければ本末転倒だ。
奇しくも、会場を出るとデパートの売り場。所狭しと関連グッズが売られ、ユトリロの複製画や別の画家による版画作品がン十万で売られている現実が目に飛び込む。もしかしてこれは絵画市場のエゴに飲み込まれたユトリロのパロディか? そう思ったお客も少なくないのではないかと思った。
2006年3月19日
ベルナール・ビュッフェ石版画展
この日の用事は昼からなので午前中に行こうと決めたのがホテルニューオオタニの美術館で開催されていたベルナール・ビュッフェの展覧会。宿泊していたのは新宿で午後の用事は池袋。いくつか事前に開催中の展覧会を調べていたのだけど、路線図を眺めていてちょうど地下鉄一本で行けてそのまま別の路線一本で池袋まで行けることに気づいたのでこのビュッフェ展に決めた次第。しかし実際は新宿でも永田町でも池袋でも延々と歩くことになって路線図ではわからない乗り換えのための移動距離を考えていなかった自分の認識の甘さを反省・・。ついでに書くと、巨大なホテルニューオオタニははじめ適当にうろうろしていたが一向に美術館が見つからず、コンシェルジュに聴いたらエレベーターで6階まで行けばすぐだと教えられてがっくり。人に訊いてもわからないが地図を見ればわかる、という自分の行動方針(思い込み?)は大きな建物の中では通用しなかった。
ベルナール・ビュッフェ展は最終日。しかし立地条件が微妙なせいなのか、あまり宣伝されていなかったせいなのか、客の数はとても少なかったのでゆっくりメモをとりながら観る事が手来た。チケットを買って入ると正面に1950年作の油絵の大作「カフェの男」が展示されている。観客を出迎えるかのようなそのカフェの男がホテルマンに見えてしまう。ラベルには「大谷コレクション」とかかれていて納得。ホテル側の粋な演出というワケなのかな。
順路に従うと、まず1968年の「モン・シルク」というシリーズ。カラーリトグラフで制作されたサーカス一座の様子が並ぶ。カラフルな色使いとビュッフェ特有の直線的な黒い線がサーカスの非現実性を際立たせている感じがする。沢山の作品があったが、動物がとくに気に入った。カバやゾウは強い描線にボリュームがあって、さらにスクラッチが質感と重量感をひきたてている。そんな重量感ある表現の中でのやさしい瞳の表現がとても新鮮だった。同じ点で、ピエロやライオン使いの表情も魅力的だった。
つづいて1989年の「ドン・キホーテ」。晩年に近づいてどぎつい色がなくなり薄い彩色なので印象が変わる。直線からなる硬直した人物表現がドン・キホーテの滑稽さに向いているのかもしれないなぁと思う。サンチョ・パンサがいかにもスペイン人の容貌なので笑ってしまった。顔の特徴を表した鋭い線にピカソのキュビズム作品(「泣く女」のあたりの時代ね)の雰囲気を連想した。
そして1964年の「ニューヨーク」の連作。一般的なビュッフェ作品のイメージ。直線で構成された高層ビル群には都会の寂寥感が漂っている。スモッグのようなクリーム色の空にところどころある深紅が効いている。じっと見ているとなんだかゴシック建築のようにも見えてくるが、もしかしてフランス人のビュッフェには摩天楼が大聖堂のように見えたのかも・・なんて思った。そう言えば前半に展示されていたサーカスのシリーズなんかステンドグラスみたいだし・・・うん、これはきっとビュッフェの美意識には荘厳なゴシックの感覚が流れているに違いない! と勝手に想像してしまった。
つづいて1970年の「女の遊び」はもともとカラーとモノクロが10種類ずつ制作されたらしいがそのうちのカラーリトグラフの方10点が展示されている。殆どフレームを固定した構図で寝室に裸の女二人がいろんなポーズをとっている。もしかしてのぞき小屋の趣向? ビュッフェの鋭い線がこのエロティックな画題をなんとも退廃的にしている。直線と曲線のバランスが面白い。
そして最後に1981年の「カルメン」。マルセイユのオペラ座での公演のための舞台美術と衣装をビュッフェが手がけたもので、水彩によるスケッチをシャルル・ソルリエという人物がリトグラフにおこしたらしい。なるほど荒々しくも見える勢いのある筆のあとが生々しい。太さの違う直線で陰影や空間の奥行きが、さらに人の動きまでが表現されているのだけど、この展覧会の展示ではいちばんビュッフェの「手」を感じるシリーズだった。舞台美術や衣装のデザインということできっともっと大量にスケッチを描いたのだとは思うけど、この作品群も次から次にアイディアを描き留めていったかのようなスピード感がある。意外に丁寧な衣装の模様や人物のボディーラインなどにビュッフェが大事にしていた感覚が読み取れるような気がする。
以上がこのビュッフェ展の概要。ベルナール・ビュッフェの作風はあの独特の黒い直線に支配された硬質な画面がとても個性的でやや前衛的にも見えるが、案外直線的な勢いある筆致の裏側には現実に対する鋭い視線がありそうだ。ふと、以前(社会的)写実主義のクールベにまつわる展覧会でビュッフェの作品も展示されていたことを思い出した。そして更にはあのストロークの背後にはビュッフェ自身の捉えた対象の直線性が意識にかかわらず描出されているとするともしかして同時代のシュルレアリストたちと同じことをしていたのかもなぁとも思う。世間では周知の事実なのかもしれないが、なんだか今まで気づかなかったビュッフェの魅力に触れられた気がする。
展覧会の規模は小さかったけど自分のペースで見られたしこの美術館は結構居心地が良かった。願わくばホテルニューオオタニに泊まって食事して・・・なんて妄想はさておき、このニューオオタニ美術館は近代絵画の面白い展覧会をちょくちょくやっているみたいなのでまた東京行きの機会があればチェックしてみるつもり。