2007年2月24日

若き日の美術家たち

愛知県美術館の企画展。所蔵作品から「若き日の美術家たち」と題して、20世紀の画家の20代の作品を中心に紹介した展覧会。とはいえ、若さ故の初々しい20代作品ばかりでもないし、作品として見応えのあるものも多くて、あらためて愛知県美のコレクションの質の高さを垣間みた感じがする。所蔵作品展ということで入館料は常設展の価格で、いつもの常設展示にそのままつながる構成になっている。余談だが、自分の勤務先の博物館もここみたいに「これから先は常設展示をお楽しみください」とひとこと表示すれば、展示スペースに関する悩みもとりあえず解決できるのになぁ・・・と思った。提案してみよう。そうしよう。

さて、展示の内容は「若き美術家たちの群像」「若き美術家たちの肖像」「若き美術家たちの挑戦」「美術家たちの若き時代、そして」という4つの章にわけられている。ポスターになっている田中恭吉の木版画「冬蟲夏草」が最初に展示されていて、それからこれらの4章がはじまっている。章ごとに気になった作品をいつもどおりピックアップしながらだらだらとメモから拾い上げることにする。

第1章 若き美術家たちの群像
ウィーン分離派のものとその影響を受けたとの画学生の同人誌「月映」が取り上げられている。ウィーン分離派のでは、レオ・プッツの「花と女」がよかった。花瓶を前に何か考え事をする女性の絵。ラフに大胆に色を置いているがしっかり形ができている。マティスよりも形と色が規律的に融合している? この人の他の作品は知らないけど、デッサンを大切にしている姿勢がうかがえて好感がもてた。そして、クリムトの「17歳のエミーリエ・フレーゲの肖像」はこの展覧会の呼び物的存在なのかな? 愛知県美にはクリムトの「黄金の騎士」があるけど、制作年を隔てた作品を比較できる点では確かにこの企画展にぴったりかも。額はじゃポニズム的な金ピカデザインでクリムトらしいけど、絵は割と素朴。クリムトの描く女性の妖婉さが全くなくて気品がある。後年の平面幾何学装飾をくみあわせた画面構成はないけれども、パステルの描写の技術はこのときから変わらないように思える。カンディンスキー37歳の版画「鏡」「夕暮れ」はジャポニスム風の切り絵のような作品。やっぱり抽象画に行ってしまってからよりもこっちの方がいいなぁと思う。後半の「月映」は、版画と詩の同人誌で、たくさんの作品が展示されてあった。東京美術学校在学中の恩地孝四郎、藤森静雄、田中恭吉の3人が作っていたとのこと。個人的には構図などで藤森作品が好みだ。よく知らないけど、今の芸大・美大でもこういう動きってあるのかな? もしかしてBTとかは限りなく同人誌に近かったりして・・・(いや、悪い意味ではなく)。

第2章 若き美術家たちの肖像
自画像、自己表現を追求した風景画、若手画家が切磋琢磨した20世紀初頭のパリの作品が並んでいる。
ワイエス21歳の自画像は、つっぱったしかめっ面をしていて表情に初々しさがある。このときから既にテンペラ画のスタイルができあがっているけど、画面右側の空間と影に技術的な未熟さを感じた。宮脇晴の18歳の自画像はその質の高さにちょっとびっくり。しっかり古典から学んでいる。今の画学生が観ていないものをしっかり吸収しているにちがいない。大沢鉦一郎26歳の自画像は強い明暗がバロック的で、グリーンの背景もおちついていて好みの絵。同じ年に描いた風景画「大曽根風景」も良かった。ただ、1919年の大曽根はこんな原野だったのか〜と、その空の抜ける青さとともに画題の方がとても気になった。浅井忠の「八王子付近の街」は31歳の作。曇天と鈍い光が雰囲気をつくっている農村風景。技術的な違いはあっても、浅井の好みと視点が変わっていないのを再確認できる。佐伯祐三19歳の自画像は、かなり意外性のある絵。薄塗りでナーバスな感じが出ている。色の使い方が面白いが、明暗で形をとらえているのがわかる。実験的な自画像なのだろうか。岸田劉生の「高須光治君之肖像」は24歳の作。明暗と量感は岸田劉生ならではという感じ。中村彝の「少女裸像」は一昨年だったかの特別展でも観た作品。うーん、やっぱりルノワールだ。でもルノワールよりもいい。他には安井曾太郎の17、18歳の時の木炭画があったが、微妙な光について研究していたのだろうなぁと思わせるモチーフと筆致。ただ、ところどころ木炭が落ちているのでは? と思うところもあった。山本鼎の木版画「漁夫」は人物と背景が同じような線で描かれているにもかかわらずしっかり立体感や奥行きが表現されているのが気に入った。木下孝則の「読書」はとてもデッサンが決まっているのに描き込みが足りなくて消化不良ぎみ。まぁ、これでいいということなんだろうけど、なんかもったいない。佐分真の「アパッシュ・シャルボニエ」はとてもいい絵だった。形としては床面の遠近など怪しいところは多々あるが、モデルのボリューム感、眼差し、黒の輪郭がとてもリアリスティックに見える。しかしガラスに明かりが反射してみづらい展示が残念だった。

第3章 若き美術家たちの挑戦
日本画と前衛の作品が並ぶ。横山大観32歳の「飛泉」は、出たな朦朧体! と言いたくなる作品。ならではの透明感とフォーカス・アンフォーカスのメリハリが実に効果的。中村岳陵31歳の「芦に白鷺鵜鴿図」は迫力ある屏風。屏風の折れ目部分(なんて言うの?)が竹のようにも見える。鳥はもちろん、水面と芦がとてもよく描けていた。前衛は・・よくわからない。よくわからないので書きようがないのでパス。

第4章 美術家たちの若き時代、そして
クレー、キルヒナー、国吉康雄、杉本健吉の作品が並んでいる。それぞれの作品が年代を追って変化する様子がわかるような展示。最後にこの構成ということは、これで「若き美術家」の特色を際立たせてしめくくる演出なのだろう。作風の変化はわかるんだけど、若さってなんなんだ? とわかったようなわからないような感覚のままだった。うーん、これって年配の方が観たらとっても頷ける内容なのかもしれない。自分の未熟さを感じた。ここに展示されている4人の画家の作品は実は好きでも嫌いでもない。なぜかこういうニュートラルな作品というのがある。しかし、クレーの「女の館」は何度も見た作品だが、あらためて奇麗だと感心した。厚紙に油絵というのは独特の澄んだ深みがあるように思う。

この後、つづいて常設展示に会場がつながり、おなじみのマティスの「窓」、デルヴォーの「こだま」、ボナールの「子供と猫」、クリムトの「黄金の騎士」といった絵がある。野口弥太郎の「門」は、はて、ここで観たのだっけ? どこか別の会場で観たような気がするけど自信がない。割と筆致の粗いどうということのない絵だけれど、空間と人物のバランス、想像できる人間関係などが面白くて、実は好きな絵かも。ほかに今までそう気に留めていなかった作品では、海老原喜之助の「雪山と樵」のナイフで表現した雪山が地層の褶曲に見えてならないのだが、その圧倒的な存在感は観ていて心地よいと思った。樵を描くのなら平面的な樹木がもうちょっとしっかり描かれていると山と森と人のバランスがとれたのになぁ・・といつもながら勝手なことも考えてしまったのだが。
常設展示はそのまま意味不明の現代美術を経て、小さい展示室へと続く。杉戸洋という人の演劇の舞台だけを描いた柔らかいタッチの大きな絵があった。舞台だけとはいえ、近寄るとこまごまと何かが舞台の上に描いてある。注意はひくがよくわからない。面白い・・のか? 不快感はないけどなんか物足りない。鑑賞者を巻き込んだという積極的な感じはなく、鑑賞者になにもかも任せてしまったような無責任さが物足りなさを感じさせるのかもしれない。まぁ、自分にとってはこの程度しか感じる事ができなかった。きっと作者はやさしい人なんだろうなぁ。あと、木村定三コレクションから若手美術家の作品を集めた展示があったが、これもひそかに企画展にからめた内容なのだろうか。部屋ではお客さんと美術館員が三重出身の作家について話していた。作品自体はあまり好きではない。けど、つくづくパトロンがいるってのは表現者にとって幸せだよなぁ・・と思った。

文責: 桂田祐介 2007年2月28日

2007年2月17日

アニマルワンダーランド -絵本に描かれた動物たち

ブライアン・ワイルドスミスと飛鳥童の絵本の原画を展示している展覧会。おかざき世界子ども美術博物館は東名高速をおりて南の方へ行ったところにある。はじめは名前だけ聞いて岡崎市美術博物館(マインドスケープミュージアム)と同じ敷地にあるのかと勝手に思っていたけど、全く違う。岡崎インターを挟んで正反対の位置関係で、カーナビさまさまである。場所は違うけれども、岡崎市美術博物館とおなじく緑の多い公園の中に建てられていて、環境づくりがしっかり考えられている感じがする。親子造形センターという施設も一緒になっていて、THINK(考える)、SEE(見る)、DO(作る)をキーワードに子供たちが積極的に関われるように設計されている。もっとこういう施設があればいいのになぁと思う。略称なのか「おー!」と描かれたロゴデザイン(ロゴは「おー!」の上のコインのフロッタージュみたいな方なのかな?)も目を引いてかわいい。

展示室の入口に小さなカウンターがあり、そこでチケットを買って入場。アプローチには動物のシルエットクイズ。それを抜けるとシルエットクイズの答えのワイルドスミスの絵が並んでいる。なるほど、犬はこうなっていたのか、などと感心する。大きな展示室の中央には塗り絵のプレイルームのようなコーナーがあり、ちびっ子たちと親たちが遊んでいる。ここの係の人は大変だなぁ。展示壁にはワイルドスミスの絵本、「どうぶつ」「うさぎとかめ」「くまごろうのだいぼうけん」などの原画が並び、譜面台には絵本がある。譜面台の絵本の他のページが気になってページを繰っていたけどもしかしてあれはダメだったのかな(と後で思った)?
原画は不透明水彩で大胆に描かれていてかなり荒々しい画肌。かなり修正の跡も多くて、剥落もある(修復されることはないのかな)。印刷を前提にした絵本の原画はこんなものなのか・・・しかし、だからこそ手荒く修正された箇所から作者の試行錯誤が伺い知れて興味深い。生き生きとした筆致が見えるうえに、指紋までぺったりとついていたりして、作者の「手」が感じられるのも原画の魅力かもしれない。手塚漫画の原画原稿の展示を見た時と同じような感動があった。
ワイルドスミスの描く動物はトレードマークの色彩もさることながら、動物の生物学的な特徴を決してないがしろにせず表情豊かに表現しているところが魅力だ。これは手塚治虫に通じる魅力かもしれない。自然への愛情のような親しみが画面全体からにじみだしてる感じも手塚的かも。絵には擬人化しつつも、しすぎていないリアル感があって、そのうえ一瞬の動きの描写が的確。子供向けの絵本だからこそ大事にすべき洞察の聞いた観察眼がある。「そうそう、うさぎってこうなんだよねぇ」と一緒に行った妻と頷きながら見た作品ばかり。かといって描写だけではなく、当然ながら話や構図の構成もよく練られているのがよくわかり、感心するばかり。

ワイルドスミス作品にたいして数は少なめだが、別室で飛鳥童の絵本原画も展示されている。「まだかな まだかな しろくまこぐまのまちぼうけ」というホッキョクグマの絵本。こちらはワイルドスミスの原画の粗さとは正反対の丁寧さで、原画としての展示も意識されているよう。キャンバスにアクリルで描かれている。氷上のホッキョクグマ親子を定点観測のようにして横長の画面に描いている。この人の他の作品を知らないのでなんとも言えないが、この作品については静かな印象が強い。ワイルドスミスとは全く違ったアプローチながら北極の広い氷やオーロラの光など自然に対する愛情が表現されている。しかし、この展覧会ではワイルドスミスのインパクトが強すぎて飛鳥童の印象が薄くなってしまった。

この展覧会を見終えてショップでワイルドスミスの絵本を1冊購入。展示されていた「くまごろう」は売り切れ。それにしても子供対象とはいえ、まるで雑貨屋のようなミュージアムショップにはいささか驚いた。うーん、大人の視点でみちゃいかんのかな。でも買うのは子供じゃなくて親だよなぁ。
親子造形センターという名のウィングにはいろいろ体験できる施設がそろっていて親子連れで大変にぎわっていた。そんななかで目に留まったのはEBアートというコーナー。石膏板に絵を描いてそれを電子線で定着させるらしい。絵は凹凸ができなければ何でもいいらしく、鉛筆やサインペン、水彩絵の具が用意してある。土台になる色んな石膏板(板状ではないものもある)を購入して(安いヨ)描いてから仕上げてもらう仕組み。ちびっ子たちに混じって2つほど作ったが、その出来の良さにはビックリした(この日に作ったものの詳細は一日一画で)。こういう場所が身近にあるといいなぁとつくづく思った。子供が居たら間違いなくつれてくるだろうなぁ(親が夢中になるけど)。

さて、帰ってからワイルドスミスの経歴について調べてみたら、ちょっと驚いた。はじめは化学の道に進もうとしていたらしい。ところが中退して美術学校へ行く。兵役を経てなぜか音楽の学校で数学教師をやっている。その後結婚してしばらくして、奥さんにやりたいことをやってはどうかと言われたのをきっかけに教師を辞めて画家になる。直後に奥さんから妊娠の事実を聞かされ絵本作家に・・・ということらしい。彼の経歴を知って、サイエンス、美術、子供向けのなにか・・・と、否応無しに自分の状況に照らし合わせてしまい複雑な気持ちになった。やはり本当にやりたい事をやらなければ人生台無しになるかもしれない。一瞬、こんな経歴がありえる英国がうらやましくなったが、日本でも不可能な事ではない。本人がどうであるか次第なのは言うまでもない事だ。それにしても、教師の仕事を辞めて絵描きになってすぐに妊娠を打ち明ける奥さんもスゴいなぁ。この話を聞いて彼の作品の魅力がさらに増したような気がする。伊豆高原のワイルドスミス美術館にもそのうち行ってみたい。

文責: 桂田祐介 2007年2月28日

2007年2月12日

祝画三昧

名古屋は池下駅近くにある古川美術館の企画展。家から散歩がてら歩いて見に行った。平和公園から自由が丘、覚王山日泰寺を経て新旧の住宅街を縫うようにして歩く道は実に楽しくて、この規模の美術館はちょっとした休憩にはぴったりだった。ちなみにこの後に寄った為三郎記念館でのお抹茶もとてもよかった。古川美術館入館時にお茶の割引券がもらえるのも嬉しい。今回のお茶菓子はちかくの梅屋さんのもので、これまた大当たり。

さて、展覧会は年始らしくおめでたい絵をテーマごとに集めたもの。テーマは「願う」「吉祥の装い」「めでたきもの」「祝画」「四季を祝う」「生命讃歌」。どうめでたいのかの解説付きで、その解説も勉強になって結構面白い。以下、気になったものをピックアップ。

川端龍子「長春花」
実は龍子の作品ってあまり観たことがなかった。大胆な筆運びと安定した構図に貫禄がある。花の赤と下の器のどっしりした赤の配置が心地よい。

六谷春樹「一富士二鷹三茄子」
切り絵? 初夢に見るとめでたい三つをきれいに配置した作品。これをデザインしたグッズもうられていて、たしかにこりゃめでたくていいなぁと思った(けど買わなかった)。

川合玉堂「松竹梅」
地味ながら最も印象に残った作品。川合玉堂にしては軽い筆さばきで気楽に描いたような感じがする。松の幹を画面の中央左寄りにデーンと置いてその背後の上半分に竹、全面の下半分に梅を自然に配置してそれぞれが存在感をもっている。解説によると、常緑樹の松は安定不変の常磐木として、生長の速い竹は子孫繁栄の象徴として、いち早く花をつける梅は春の魁としてそれぞれ縁起の良いモチーフとのこと。中国では歳寒三友といってこれらを尊ぶという。歳寒は困難な時こそ物事の本質が見えること、三友は正直・誠心・博学な友、ということで厳しい中でも有益になるものの例えなのだとか。

前田青邨「祝ひ日」
画面中央に非常に大きく描かれた下弦の半月と、左下に小さく描かれた月を愛でる舞人・楽人たち。まるで映画E.T.の有名シーンみたいなバランスに、驚かされるとともに奇抜な画面構成に感心したが、はて、月見にしては半月はおかしい、なんだろう? とわからなくなった。これまた解説によると、「祝う」は「斎う」で、神の力を借りて大切なものを守る、身を清めて神や祖先の霊を祀り、自分たちの生活の無事とこれからおこる物事の安泰を期すことだという。月を描いて「祝ひ日」とはどういうことかと思ったが、日が昇る前に現在・未来を「斎う」ということなのかな。画面として秀逸で、さらには一見してはわからない敬虔な意図がこめられている作品は結構好きだ。

川端玉章「端午節句」
幟のほかに鯉のぼりがのたうっている。背後に富士。幟のひとつに描かれている鐘馗は玄宗皇帝の故事に基いた疫鬼を追い払う神とのこと。菖蒲は尚武、勝負に通じるということでなるほど男の子の節句なのだとか。よく見ると荒々しくのたうつ鯉のぼりは背景の富士山よりも高い位置に描かれていて、よく考えられた絵だなぁと感心。祝画のめでたさはこうした土着信仰みたいなものがあるから成り立つんだろうし、いい作品は画題にあらわれる文化的な差異よりも深いレベルで普遍的に人間が持つセンスに響くところがあるのだろうと思う。そういえば、ずっと前に鯉のぼりの絵を描こうと山間部の鯉のぼりを取材したことがあった。結局まとまらなくて放置しているのだけど、これをヒントにひっぱりだしてもいいかなぁ・・・。

文責: 桂田祐介 2007年2月16日