2006年6月3日

ルオー展

名古屋市美術館で開催されていたルオー展、またまた気がついたら会期終了間近! ということで、色々と用事がある日だったが、伏見へ行ったついでにどさくさにまぎれて見てきた。

展覧会は1階部分が「初期作品」、「サーカス」、「女性たち」、「キリスト」、「ミセレーレ」、「聖なる風景」、「後期の作品」の6つのセクションに、2階が「ユピュおやじの再生」、「サルタンバンク」、「回想録」、「流れる星のサーカス」、「受難(版画)」、「受難(油絵)」の連作6つのセクションに分けられて展示されていた。ラベルの作品番号がばらばらなので後で図録を確認したら展覧会の並びと図録の並びは全く違っていた。展覧会の構成と図録の構成、二度美味しいアレンジになんとなく得した感じがする。以下、観た順に感想を。

はじめの最初期の「湖」「キリストと弟子たち」はやっぱりモロー的。後年のあの独自の厚塗り画面からは想像しがたいけど、師のモローの死後はショックで描けなかったと言うから相当に影響を受けていたんだと思う。ルオーと言えばステンドグラス風、というワケで、早くもその片鱗が形から見えるのが両面に描かれた作品。「曲馬団の娘」と「水浴の女たち」は紙にグワッシュでわずかながら光を通すので透明感がある。壁をくりぬいたような展示方法もそれをよく見せてくれている。裏表で反転した構図ながらそれぞれに着色しているので違う絵になっているのがわかる。紙に水彩の「サロンにて」は金持ちの女性の傲慢さが感じられる絵だが、その肌の質感は見事だ。ルオーは早くから透過光のような質感に注目していたようだ。

サーカスのセクションではやっぱり道化師。大原にある横顔の道化師の絵が好きなので、ルオーの道化師がでてくるとなんとなくわくわくしながら観てしまう。「正面を向いた道化師(半身像)」はもしかして自画像だろうか。大胆にして繊細な表情の描写がとてもいい。

女性たちのセクションでは、「バッカス祭」など、造形にもどんどん工夫があるのが楽しい。道化師シリーズから一貫して、人間の内面を描きだすような迫力が画面からにじみ出ているのもいい。この時期の作品が一番好きかも。「水浴の女たち」に至ってはほとんど抽象。なおさら人体のつくる造形への関心が伺える。「好戦的な女神ヘカテ」はブルジョワジーのメタファーだろうか。敬虔なクリスチャンだったルオーでもギリシャの女神を描いているところが興味深い。やはりヨーロッパ文化の根底にはギリシャが流れているのか。それとも多神教の世界(一神教のキリスト教の立場からは邪教の世界)を敢えて物質主義的なブルジョワにかけた皮肉なのだろうか。あと気になったのは、「レナ」と「X夫人」の対比は、前セクションの「ピエロ」「正面を向いた道化師(半身像)」と同じ効果を狙った展示?

次いでキリストのセクション。「辱しめを受けるキリスト」など、画題の重々しさがとてもストレートに伝わってくる。「キリストと盗賊」にはなんとなく中世のような価値観があるのかもなぁと思う。

つづくミセレーレの連作は展示替えがあって一部だけだが、以前に東京の汐留のNaisミュージアムが開館したときに観たのを思い出した。モノクロームながら劇的な画面、人物描写の冴えが感じられる。解説によると版を削ったり磨いたりと何度も手を加えてこの深みある画肌をつくったのだとか。盛り上がった油絵もそうだけど、版画でも基本的にはステンドグラス職人の工芸的な手仕事の延長だったのかもしれないなぁ。

風景のセクション。「放蕩息子の帰宅」は不鮮明ながら雰囲気はよくわかる。レンブラント作品がとても有名なこの画題は、色んな画家たちのを見たけれど、こんな左右対称の構図は珍しい。「エクソドゥス」「たそがれ あるいはイル・ド・フランス」「伝説の風景」あたりはまさにステンドグラスのような光を感じる絵。次の「聖書の風景〔風景(運河)〕」や「逝きし人々の入江」もステンドグラスだなぁ。風景の中の人影も叙情性を引き立てていてとてもいい。

厚塗りの下地に透明色を重ねて重ねて彩度と透明感を増すルオー絵画、その真骨頂のような作品「葉子」はさすがにちょっと盛り上げ過ぎなんじゃないかと思った。思わず横から見てしまった。絵の凸部分が重ね塗りのせいで滑らかなのが面白い。あと、展示のラベルを見ていて気がついたのだけど、油絵は殆どが紙に描かれている。紙に描いたことはないのでよくわからないのだが、溶き油やメディウムの成分がにじみだすのではないだろうか。最初のほうにあった両面に描かれた作品みたいな半透明の支持体に描いたような状態かもしれない。展示作品の多くはキャンバスで裏打ちされていたけど、ルオー作品の透明感は紙という素材によるところもあるのかも・・・。

2階にのぼると、冒頭に書いた通り「ミセレーレ」以外の連作がまとめて展示されている。「ユピュおやじの再生」は戯曲をモチーフにしたルオーの版画集第一作とか。ふてぶてしくどっしりした白人と軽やかで楽しげな黒人の対比はあの金持ちへの皮肉に通じる。個人的にはやっぱり黒人の描かれた作品にアフリカの匂いを感じてしまう。ルオーはアフリカには行っていないだろうけど、アフリカに植民地をもっていたフランスならではのアフリカへの親近感のようなものはあったのかもしれない。「回想録」は同時代の画家や作家へのオマージュで、他の作品群とはちょっと毛色が違う。「流れる星のサーカス」はもともと別の物語につけられた挿画だったが紆余曲折を経て後年日の目を見た作品とか。詳しい経緯は図録に書いてあるが、オリジナルが出ていたら評価も変わっていたのだろうかと余計な所が気になった。銅版画に彩色されたアクアチントがまことに美しい。そして、版画と油絵の「受難」は友人シュアレスの詩に絵をつけたものとのことだが、このシュアレスの詩から得られた直感がその後のルオーの宗教画へのインスピレーション源になったらしい。残念ながら展示作を観てそこまでのことはわからなかった。しかし、ほとんど浮き彫りと呼んでもよさそうな油絵はそのマチエールといい発色といい、なにか特別な思い入れがないと到達しない精神性があるような気がした。あと、本の実物も展示されていたけど、浮き彫り的な絵を見せる表紙がとてもいい。いずれの挿絵も本の表紙を意識して描かれたのかもしれない。こういう豪華な詩画集という形での作品発表、もしかしてルオーが契約の民であるクリスチャンだったからこその発想だったような気がしてきた。
今までテーマ別に展示されてきたルオーの作品群が最後に「受難」の連作でしめくくられる企画側の手腕には最後の最後で唸らされてしまった。ちなみに図録では「ミセレーレ」が最後を飾っていて、それぞれ展示と読み物とを分けた編集がされているのだろうか。ルオー作品自体から離れるけど、その見せ方の違いがとても興味深い。裏をかえせばそれだけ多様なアプローチをしても伝えきれない魅力と世界観がルオーの作品にあるということかもしれない。


さて、常設展示もついでに観て来た。やっぱり巨大な抽象画や立体はワケが分からないので、いつもどおり素通り。ここの常設ではエコール・ド・パリとメキシコ絵画ぐらいしか観ないのでいつもすぐに通過してしまう。展示室6でも小さな企画展があったので入ってみると壁面に同じような正方形の板が等間隔に貼付けてあるだけ。・・・・? またも現代アートに一杯食わされたかと苦笑いしながら、この展示室の受付のところで聞いてみると、パンフレットを渡されてひととおり説明してくれた。桑山忠明ワンルーム・プロジェクト2006という、名古屋市美と愛知県美の共同企画。桑山氏は日本画科卒で抽象画をやり、独自のピュア・アートにたどり着いたと言う。絵画的な表現を極限まで排除した工業製品のような絵画だそうで、なるほど一見建築素材のショールームみたいな展示だ。受付兼監視員の方によると、見る角度によって光の反射が変わって違う色に見えるのだとか。なるほど。ピュア・アートの概念云々はさておき、素材の塗装(?)を生かしたこういう表現はそのまま建築素材として応用できそうで面白い。桑山氏が日本画からスタートしたということもあって、現代的な見せ方の中に日本的な材質の扱いが潜んでいるような感じがする。ステンドグラス的なルオーの後に観たせいか透過光と反射光による洋の東西の表現の違いに思いを馳せてしまったのかもしれないなぁ。これももしかして美術館側の狙いなのだろうか。

文責: 桂田祐介 2006年8月29日