2006年3月11日
ベオグラード国立美術館所蔵フランス近代絵画展
今回の東京滞在は先のスイス絵画のレポートで触れた通りGISソフトの講習会を受講するためで10日の金曜日までの出張だったのだけど、ちょうど週末にかかることもあってもう一泊して翌11日になにか展覧会を見て帰ることにしていた。朝、チェックアウトをすませた新宿のホテルにお願いして荷物を預かってもらって日本橋へ向かった。
日本橋三越の7階ギャラリーで開催されていたこの展覧会は、事前に掲示板でJuneさんに教えていただいた展覧会。Juneさんによるオススメ投稿は以下の通り。
3460. ベオグラード美術館のドガ June 2006/03/01 (水) 02:20
桂田さん、こんばんは。
先日、日本橋三越でベオグラード国立美術館「フランス近代絵画展」を観てきました。
http://www.mitsukoshi.co.jp/nihombashi/france/index.html
もし、3月のご上京に開催期間が重りお時間があれば、ドガ好きの桂田さんにお薦めかもしれません。
日本人好みの印象派作品中心の展覧会でしたが、その中でしみじみと観てしまったのがドガの作品群でした。特に眼を惹いたのがギルランダイオ作品登場人物を模写した鉛筆画で、下記の絵の左側でこちらを向いている男です。ポーズの取り方がなんとなくドガっぽいかも(^^;;
http://www.wga.hu/html/g/ghirland/domenico/6tornab/61tornab/1expuls.html
ドガは肩の傾き具合が気に入ったようです。
同じように肩や背骨のラインがとても印象的だったのが「浴後」シリーズの裸婦像で、「身体を拭う女性」などを観ながら、何と「こまちゃん」シリーズを想起してしまったのです(^^ゞ。こまちゃんの一瞬の動作や表情を桂田さんは背骨でしっかり描いていますが、なんだか似ている!と思いました。踊り子もですが、やはり動作の要は首・肩・背骨にありそうな気がしてきました。あ、もしかして人間の軸は背骨でしょうか??
いつも丁寧に一日一画の拙作を見てくださっているJuneさんならではのご指摘に期待がふくらむ。実は展覧会に行く数日前にJuneさんにお目にかかった時には、なんと図録までいただいてしまっていて、浦島太郎の玉手箱のごとく封印して展覧会に望んだ次第。ちなみにこのJuneさんの書き込みに対する拙回答も抜粋しておく。
3461. 日本橋三越、行きますっ! 桂田 2006/03/02 (木) 01:07
Juneさん、こんばんは。
早速のオススメありがとうございます! いやぁ、三越の「フランス近代絵画展」、よさそうですね。他所でレビューされているのを読んでいてモネやルノワールばかりかと思っていたのですが、ドガの作品群と聞けば行かない訳には参りません。幸いにして開催期間ですのでぜひとも観て来たいと思います!
それからギルランダイオ作品のご紹介もありがとうございました。言われてみるとドガが好みそうな角度の人物像かもしれませんねぇ。それに浴後の連作が観られるとのことにも期待大です!
で、Juneさんにこまを描いた拙作を連想してもらえたとはなんとも恐れ多い気がいたしますが、「背骨」をキーワードに私自身も比較してみたくなりました。
動作の要と軸のことは、私は人物デッサンを習ったことがないので自信を持ってお答えできないんですけど、「動作」となると首や肩や背骨といった骨格だけでなくむしろ筋肉が重要のような気がしますね。骨で支えて筋肉で動かす仕組みになっていますから、動作という流れをとらえるのには、どことどこにある筋肉が縮んだりのびたりして力を伝えて行くのかといった部分に注目する必要がありそうな気がします。ミケランジェロやレオナルドが人体解剖をしたのもそのあたりの研究のためだったのかもなぁなんて思います。あ、軸はやっぱり背骨でしょうね。この軸の存在と筋肉の関係を総体としていかに捉えるかが生命力を表現する鍵なのかもしれません。
因みに今回の予定は7日〜10日でその間は夕方からフリーなので渋谷のBunkamuraあたりに目星をつけていました。日本橋三越、行きますっ! 実はもう一泊して11日にも上野あたりを観てこようかとも企んでます・・・。
さて、前置きが長くなってしまったが、ここからが感想。
バルカン半島の古都ベオグラードはセルビア共和国とセルビア・モンテネグロ連邦の首都。個人的には訪れた事のないところではあるが、お世話になっている元ジャーナリストの方のライフワークが旧ユーゴ内戦だったり、来月にもモンテネグロが分離独立を決める国民投票がある(セルビア国旗も変わるんじゃないかという国旗マニアの興味からなのだが・・・)というニュースが気になっていたので、それらの点からも親しみがあった。今回は数々の戦火をくぐりぬけて守られて来たベオグラード国立美術館のコレクションからフランスの近代絵画が集められている。先のプーシキン展といい、なんだか東欧圏のフランス近代絵画がよく来るなぁ。
三越に着いたのは会期終了前日で土曜日のお昼時という最悪のタイミングで、入る時こそ少し並んだだけですんだがあれよあれよという間にものすごい混雑になってしまった。素描など割と小さな作品が多かったのでお客さんはへばりつくようにして見るし、ルノワール作品の展示スペースは細くなった廊下のようなところの両側に展示されていたので思うように進むことすらできない有様で、きれいに修復された「水浴する女性」がまた傷つくんじゃないかと思えるぐらい。ろくに見られず素通りしてしまった作品もいくつかある。しかしもっと前にでかけた方々の話ではそんなにひどい混雑ではなかったようで、どうやらかなり不運なタイミングだったようだ。東京はお客の絶対数が多いので沢山の展覧会が開かれるけれど混雑がひどいと満足に見られなかったりするのが残念だ。まぁ、商売としては入ってなんぼなのでいいのかもしれないが、展示に腐心したキュレーターはもちろん展示されている作品にとってみればなんとも歯がゆいんじゃなかろうかと思ってしまう。混雑を尻目にそんなことを考えてしまった。
展覧会は最初に写実の系譜としてコローから印象派へとわたる作品が展示されていて、ここにお目当てのドガのデッサンがある。例のギルランダイオ作品中の人物を描いた鉛筆デッサンは顔の陰影がしっかり描き込まれていて他は意外とほとんど描かれていない。ドガは肩の傾きが気に入ったようだとJuneさんはお書きになっていたけど、描き込み方から顔の造形がつくる陰影のほうに関心があったのかもなぁと思った。そして木炭とパステルによる踊り子の習作が幾つかと「浴後」関連が数点展示されているのだが、浴後の作品はいずれも後ろ姿でなるほど背骨の軸が目に入る。頭部の傾き、体を支える脚、支えたり拭ったりする腕など動きとしてのエネルギーの流れを自然にしなやかに捉えた描線は流石。「裸婦(浴後)」と題された体をひねったデッサンはドガが参考にした写真と本画の画像も小さく紹介されていて、ドガの研究心が垣間見えて面白い。この中で大きめで彩色もされている「浴後」の今にも動きそうな人体表現と画面全体のパステルの風合いは特に素晴らしい。うーん、ドガのデッサンから拙作のこま連作(註: こまは妻の実家の飼猫)を連想してもらえたとはまことに嬉し恥ずかしである(僭越ながらこまのスケッチの数々はコチラで見られるので一応リンク)。
このセクションでは、他にもドガの人物画や3人の踊り子のほか、コロー、シスレー、ピサロ、モネ、カサットの作品があったが、ピサロの「ポール・ゴーギャンの肖像」と「テアトル・フランセ広場、陽光の効果」が気に入った。前者は水彩、グワッシュ、黒チョークの混合で描かれていて立体感とゴーギャンの雰囲気が好み。後者は一点透視の俯瞰構図で広場を描いているのだけど、まるで広角レンズのカメラで撮ったみたいに地面の盛り上がりがあって、近代の視点を感じた。古典的な線遠近法では静止したイメージになるが、ヒトは実際には視点を動かしてものを見るので厳密な一点透視に従うよりもこちらのほうがより実際の知覚に近いのかもしれない。少なくとも広場に描かれた馬車や人々を順に見て行くととてもリアルな感覚がある。印象派は光にばかり注意が向いてしまうが印象派ならではの視点が構図にも活きているのかと気づいて嬉しくなった。
次のセクションはルノワール。油絵、インク、木炭、パステルなどによる小品が沢山並んで、その後に「水浴する女性」とその盗難と修復にまつわる解説がある。チケットやポスターに使われていた「帽子を被る女性」がとても小さくてびっくり。カタログによると16cm×14cmの寸法。F0号よりも小さい。これをあんなに引き延ばされているのをルノワール本人が見たらどう思うだろう・・・。それはいいとして、ルノワールの小品群、相変わらずモタモタボンヤリした絵だけれど、このサイズで飾られているのは素朴で良いかもしれないと思った。もともと絵付け職人だったわけだし、もしかしてこうした小品の方が気楽に描けてよかったんじゃないかなぁ・・・。10cm×10cmの「カップ」など最たるものだと思う。「水浴する女性」の顛末は会場が混んでいてその場では読めなかったのだが(後で図録で読んだ)、その作品は一旦バリバリに剥離したとは思えない状態で驚いた。修復家の技術はまことにスゴいものだ。きっとオリジナルを作る側が仮にどんなに細密な絵を描く腕を持っていても再現性の高さでは修復家に及ばないんじゃないかと思うぐらい。そう言えば自分の油絵もいくつか引っ掛けたりして傷んだものがあるのだけど、自分で直そうという気にはならずに放置しているのを思い出してしまった・・・。
実はルノワールの作品を見ていてなんと伊東深水の美人画を連想してしまったのだが、なぜだろう。精神的な深みを感じないところが共通しているからだろうか。どちらもあまり好みではない(むしろ嫌い)のだけど、そのあたりが自分の中でクリアになったらもう少しルノワールの良さにも触れられるのかなぁと思う。
その後、混雑のため満足に見られていないのだが、「印象主義を超えて」としていわゆる後期印象派、ナビ派、象徴派の作品が、さらに「20世紀絵画の騎手たち」としてフォーブ、キュビズム、エコール・ド・パリの作品が並んでいる。それらの中で印象に残っているのはゴーギャンの「果物と瓶のある静物」、ロートレックの「若い女性の肖像(リヴィエール嬢)」、ヴュイヤールの「室内」、マティスの「窓辺」、ヴラマンクの「ブージヴァルの雪景色」、ドランの「パンのある静物」、キスリングの「黒いブラウスの若い女性」と「若い女性の半身像(ヌード)」あたり。中でも意外だったのはロートレックとドラン。どちらもよく見る画風と違って古典的なアプローチをしていてそれぞれのバックグラウンドに古典絵画が息づいている事が感じられて嬉しくなった。
この展覧会のあと、予約していた高速バスの時間までしばらくあったので新宿に荷物をとりに戻るまでに上野によって展覧会のハシゴをしようか、そのまま新宿に戻ってこの日新宿公園で行われたチベット独立運動のデモ行進に参加してチベットの旗をもらってこようかなどと密かに色々考えていたのだけど、混雑で疲れて時間も中途半端だったので結局どこへもよらずに帰途についた。
文責: 桂田祐介 2006年3月29日