2005年12月21日

プラート美術の至宝

この岐阜県美術館での企画展は東京で開催されていた時からずっと気になっていた展覧会で、この岐阜巡回も会期残り数日というところで、平日ながら急に観に出かけたもの。数日前に名古屋では記録的な大雪で交通が麻痺し、この後もまた大雪の予報だったので(実際この21日と翌22日が大雪の中休みのような形になった)今しかない! との判断。岐阜県美術館へは久しぶりで、何年か前に出かけたときにはJR西岐阜駅からしばらく歩いたのだが、今回は岐阜県の運営する無料巡回バスがあったのでラクチンだった。
展覧会名はなぜか「マリア伝説とルネサンス」。あれ? と思ってよく見ると別のところに「プラート美術の至宝展」と「フィレンツェに挑戦した都市の物語」とも併記してある。別の展示か三部構成なのかな? などと思ったらひとつの展覧会だった。「マリア伝説と〜」は岐阜だけのタイトル? 最近副題のついた特別展が多いような気がするけど、なんだか紛らわしいなぁなどと思いながらチケットを買って中へ。雪の日の平日に地方都市の美術展にでかける人はやっぱり少ないようでちらほらとしか客の姿が見えない。これだけの展示品をじっくり間近で自分のペースで観賞できるとはまことに来た甲斐があった。以下、BBSに12/22に書き込んだ感想より抜粋。

3082. プラート美術の至宝展。 桂田  2005/12/22 (木) 02:08

岐阜県美術館で開催中の「プラート美術の至宝」展に行ってきました。岐阜の前には東京の損保ジャパンで開催されたもので、年明けには広島に巡回するみたいです。

いやぁ、驚きました。実に充実した展覧会でした。東京展はどうだったかわかりませんが、平日の地方都市での展覧会ということで他の客が少なく、じっくりとひとつひとつの解説も読みながら観賞できたのでよかったです。

プラート美術については、先日フィリッポ・リッピがテレビで取り上げられていましたが、よく知らなかったのでとても勉強になりました。フィレンツェ郊外のプラートが都市のアイデンティティを求めた聖母マリアの「聖帯」をめぐる信仰がキーワードになった展示は当時の様子をリアルに伝えてくれますし、またヨーロッパ美術史の縮図のような側面もあって展覧会企画の手腕にもとても感心しました。
まだ中世の名残のある初期ルネサンス絵画はフレスコやテンペラが多いのですが、これを見て改めて「線」がヨーロッパ絵画の基本にあるのだと再認識しました。それにやはりルネサンスでは線遠近法の発見がとても重要なわけですが、一点透視の画面と宗教画ならではの決まり事との調和の葛藤のようなものが見て取れて興味深かったです。主役のリッピ作品はボッティチェリに影響を与えたというのがよくわかりますが、尼僧との駆け落ちなんかのエピソードを知ってしまうとルネサンスの理念に通じる人物表現の別の側面もあるように思えてしまいました。
そして時代が下って円熟して行くプラートのルネサンスですが、ラッファエッリーノ・デル・ガルボの円形の作品が見事でした。聖母子像はデル・ガルボのような完成度の高いものからもっと庶民的な浮き彫りも多く展示されていて当時の信仰生活の息吹が感じられます。その後、マニエリスムを経てゴシック、バロックへと展示が続く訳ですが、その時代の流れも面白いですね。宗教・経済上の歴史的な変遷をうけた絵画の変化の説明がわかりやすかったです。フィダーニの幻視の絵、カラッチョーロやプレーティのいかにもカラヴァッジェスキな劇的な画面、サッソフェッラートの洗練された聖母、割と好みの作品が最後まで続いてその点でも大満足でありました。

[略]

フィリッポ・リッピが先日テレビで取り上げられていたと書いたけど、実はピエロ・デ・ラ・フランチェスカの間違いで、全く恥ずかしい限り・・・。
聖帯伝説というのは聖母マリアが被昇天の後に残した帯が使徒トマスの手を経てプラートに渡ったと言う伝説。この聖帯はプラートのシンボルとして常に関わりあう形でプラート大聖堂の美術作品に登場しつづけている。すぐ近くのフィレンツェの影響下にありながらプラートのアイデンティティを維持する為になくてはならないものだったことがとてもよくわかる。展覧会では一番最初にこのプラート伝説を説明するベルナルド・ダッディによる横長の金地テンペラ画が展示されていたほか、要所要所に展示作品と聖帯伝説との関連について説明されたパネルが用意されていた。ほぼ時代を追っての展示で絵画表現や画題の変遷が見て取れて面白い。
このあと、東京展を観られたJuneさんからの書き込みを頂いたので、その一部も抜粋。
3084. プラート展 June  2005/12/23 (金) 00:41

[略]
桂田さんも書かれてますが、確かに西欧美術史をプラートという都市の中で体験できたような展覧会でしたね。主役のフィリッポ・リッピの優美な線描はボッティチェッリやフィリピーノ・リッピに引き継がれていくことも推察できました。それに有名な修道女と駆け落ち事件がプラートで起こった出来事だったことも今回の展覧会で初めて知りました(^^;
で、桂田さんも惹かれたラッファエッリーノ・デル・ガルボ作品はラファエロを想起させる完成度の高い作品でしたね。おだやかな調和に満ちて、なんだかなんだ言ってもフィレンツェ風だなぁと思いました。でも、私的にはやはりバロックのカラッチョーロ「ノリメタンゲレ」が一番心に残りました。まるで映画の一場面のような明暗の効いた照明と凝った劇的なポーズ。ちょっと役者たちが役に酔っているような気もしましたが面白い構図と迫力でした。それで驚いたのですが、名古屋ではマッティア・プレーティ作品が展示されていたのですね!図録には載っていたのに東京展では観る事ができませんでした。う〜ん、桂田さんが羨ましいです!!

驚いたことに一部の作品は東京では展示されていなかったとのことで、ちょっと得した気分。Juneさんの書き込みに対する拙レスもついでに抜粋。
3086. プラート展の余韻。 桂田  2005/12/23 (金) 02:13

[略]
全くJuneさんのおっしゃるとおりで、プラートというの都市の中での美術史体験でした。その点では先のフィレンツェ展よりも的が絞られていた感じがします。今まで私の中ではリッピはさほどウェイトが大きくなくて、ジョット→フラ・アンジェリコ→ウッチェロ→ヴェロッキオ→レオナルド→ラファエロという感じのルネサンスの流れができていたのですが、フィリッポ・リッピの存在の大きさには驚きました。
で、デル・ガルボはラファエロ的な完成度がありますね。私は画面構成とヨハネや聖母の表現からレオナルドを想起したのですが、安定した三角構図などはラファエロに通じますね。なんだかんだ言ってもフィレンツェ風というのは・・確かに。まぁ、15キロほどの距離だというので無理もありませんね。大津と京都みたいな感じかなぁと自分の地元と対比してしまいました。
さてさて、バロックにさしかかったところで私もわくわくして見ていたのですが、やはり、Juneさんにはカラッチョーロが一番でしたね! 直前にパネルでトリエント公会議の内容が説明されていまして、その流れで見たのでバロックの出現の意味の大きさを確認できました。よく練られた展示でした。そのカラッチョーロ作品は・・・実は思わずキリストの帽子とマント姿に笑ってしまいましたよ。しかし、ドラマチックな明暗の効果と生々しい人間味を示す写実性は見応えがありました。プレーティの「ハガルの追放」は東京では展示されていなかったのですか。岐阜展では図録に載っている作品は全て展示されていました。なんだか更に得した気分です〜。この作品も大画面でバロックの迫力をとても感じました。

ちょっと話はそれるけど、ここで書いてる自分なりのルネサンスの流れはかなりイイカゲンなので変なこと書いちゃったなぁと後悔中。ピエロもボッティチェリもミケランジェロも抜けてるし・・・ここに書いたのは絵画の写実表現上のつながりに沿った流れの一部で、自分の関心が遠近法の発達と調和的な写実に傾いていたのだと気づく次第。
全体を通して観ると、上にも書いたがプラートという都市のアイデンティティ確立の道のりはもちろん、美術史の流れ、時代時代のものの見方の違いがとてもよくわかる。個人的にはウッチェッロの二つの消失点を持った透視図法とかフラ・ディアマンテとフィリッポ・リッピの線遠近法の試み、同じくディアマンテ、リッピの受胎告知に聖ユリアヌスが居たりするところから垣間見える世俗的な需要、アニョロ・ガッディのジョットを思わせるフレスコ画からジョヴァンニ・ディ・フランチェスコ、フィリッポ・リッピ、フラ・ディアマンテ、トンマーゾ・ディ・ピエロ、フィリッピーノ・リッピにつながる線描、テンペラながら陰影を伴った写実表現と完成度の高い調和をみせるラッファエッリーノ・デル・ガルボ、陰影・明暗の深みを強めて空間表現に迫るルドヴィコ・ブーティやマリオ・バラッシ、オラツィオ・フィダーニ、フランチェスコ・ボスキ、バッティステッロ・カラッチョーロ、マッティア・プレーティ、サッソフェッラート・・・といったところが絵画作品として興味のツボだった。あと、帰属不明の17世紀の作品群は5月に東京で観たジョルジュ・ド・ラトゥールを思い出させてくれて、ニヤリとしてしまった。ルネサンス以降の絵画表現の変遷を追って観られるのは実に面白い。

この企画展をたっぷり観たあと、足早に常設展のルドン他を観て帰途についた。企画展の印象が強くて強くて、むしろその記憶を反芻したいが為にあまり常設展で足を止めることはなかったのだけど、岐阜県美術館のルドンのコレクションはとても充実しているので次の機会に時間をとってしっかり観たいところだ。
文責: 桂田祐介 2006年1月5日