2005年12月6日

なおいぎれ

時刻: 23:59 | 技法: ペン

これは妻の実家の近くの国府宮神社のなおいぎれ(儺追布?)というもので、由緒あるはだか祭り(儺追神事)で配られたり日頃境内で売られていたりする厄よけアイテム(だと思います)です。紅白で「なおい」「国府宮」と書かれています。目印兼お守りとしてスーツケースにつけていました(まだシリア準備の時のままです・・・)。
ちょっと思うところがありまして、このなおいぎれを裏返しにして描き直しのできないペンで描いてみました。このあと表向きにしてもう一枚描いてます。長くなるので詳しい話は追記欄にてどうぞ。

いわゆるWeb拍手です。→

なぜこれを描いたかと言うと、昨日の長芋でのコメント欄でのやりとりがずっと頭の片隅にひっかかってまして、ちょっと考えたことを試してみたかったから。と言うのは、長芋には頭→尻の向きがあり、右利きで描くのに頭を右にしては描きづらいのでは・・という話(と勝手に解釈しました)のことで、これは絵を描くことが対象物を言葉で分類して理解した場合、それをその順に描くというのは目に入った形を他ならぬ記号として翻訳してその記号を画面に再構成するプロセスだということになるのかなと思ったのです。
自分では全くそんなつもりはなくて見たままの形をなるべくそのまま、言語を介すことなく再現しているつもりだったので驚きました。もしかして、絵の鑑賞者はそうして翻訳しながら観ているのかもしれない・・・と。図像学などはその描かれているものの意味が重要なのでそれもうなずけます。そこで、試しに言葉を連想させる文字が書かれている、この「なおいぎれ」を選んだというワケです。描いてみて思ったのですが、どちらも描くこと自体には大差ありませんでしたが、意識としてやはり字の読める表向きのほうが安心感があるように思いました。ということは、形を捉え再現するのに言語を介しているのかもしれないということ? うーん・・・。
これは私の持論なのですが、物を観察するとき言葉で考えながらのほうが整理できて理解しやすい反面、視覚の言語化で抜け落ちてしまうものもあるのではないかと思います。それで絵を描くとき、ものを見る時はなるべく深く考えず(言葉を使わず)先入観抜きにすべてを見よう、少なくとも絵を描く時はそう心がけていました。造形についての思考はまず非言語であるべきだというワケです。この考えは変わりませんが、実験的にこの文字入りのモチーフを描き分けてみると、まだまだ修行が足りないのかも・・・なんて思ってしまいました。

ええと、いつになく冗長な文章になってしまってゴメンナサイ。懲りずにこれからも見てやってくださいませ。

いただいたご感想とそのお返事など

「あら、今日は食べ物じゃ・・・ない。」

「おお!お野菜だ〜!本物みたーい!」
※長芋は土の匂いがしてきそうでした。

「こまちゃん、あったかそ〜」

考える力が無いのです。。。
難しいことは考えず見ております。
だから!絵が描けないのですね。

美術館に展示されるような絵は興味のある作品や画家について歴史背景などを本で読む程度。
「いいないいな〜。」これが感じたくてあちこち行くのですが勿体無いと思われちゃいますね。

投稿者 : すぴ | 2005年12月7日 07:34


すぴさん、
ちょっと誤解を招いてしまったみたいですが・・・ここでは絵について云々言っているのではなくて思考について云々言っているだけです。上記に持論として書いています通り、私も絵の制作・鑑賞には言語的な思考を持ち込まない(&eq;深く考えない)のを旨としていますし、その点では
> 「いいないいな〜。」これが感じたくてあちこち行く
と根源的に同じだと思います。で、関心のあるものはその次の段階として資料を読んだりする程度です。知識があると見え方も違ってきますから、それはそれで楽しみ方のひとつというワケで・・・。やっぱり視覚芸術、まずは視覚的に楽しみたいですからね、好きが高じて知識が増えても最初は視覚中心の非言語思考で絵に接しているような気がします。

あと、絵を描くことについては、私の場合、下絵から考えたりする時にはある程度考えますけど、何かを描いてる最中は完全に非言語思考だと思います。自分の描いた物と対象を見比べて更に両者の違いを修正すべく加筆する・・・この作業には言語的な分断された思考はむしろ邪魔だと思います。

うーん、ますますややこしい話になってしまって申し訳ありません(やっぱりこんなことを無理に言葉にするのがいけないのかも・・)。
とりあえず、すぴさんのスタンスを否定したりする意図はございませんので、そこんとこはご理解いただけると幸いです。

投稿者 : 桂田 | 2005年12月7日 16:55


ごめんなさい!なんだかこちらこそ誤解させてしまったようで・・・本当にすみません。
いえいえ、いつもなのですが「自分のHP内容薄いなぁ。。。」など思いながら桂田さま、TakさまのHPなどを拝見させていただいているのです。
元々、写真を展示すること、他愛の無い日記を載せるだけが目的だったので、これで良いのです。

でも私が好んでお邪魔するブログやHPは本当に人に見せるために作られているものなのだと感じたことを・・・表現力が乏しくてごめんなさい。
本当にこちらで楽しませていただいております。
拒否されているなんて思ってません!(ちょっとは考えた方が良いのかも?)
どうぞお気になさらずに。
またきます!!!

投稿者 : すぴ | 2005年12月7日 19:00


こんばんは。
作品もさることながら、文章になるほど、でした。面白い、興味深いお話でした。
高校時代、一応美術部員だったツマですが、描く対象自体はどういう向きに置かれてもいても、描けといわれれば描くものであった気がします。
ただ、昨日の長芋は、何て言うんでしょう…ぱっと拝見したときに、尾頭付きの魚(サンマの塩焼きでも何でもいいんですが)がお皿に盛りつけられているときに、頭を右側にして盛りつけられているのを見たような違和感が、ほんの少しだけあったかも知れません。
…でも、何でなのでしょう。今見ても不安定感があるわけでも何でもないんですけれど。そんな気がしたかも、とツマの思いつきの感想でした。

投稿者 : ツマ | 2005年12月7日 22:56


今回の「なおいぎれ」の絵と解説をとても興味深く拝見しました。本当に面白く、勉強になりました!
ご指摘の通り、「山芋」は右頭から右利きで描いたもの…と先入観で見ておりました。確かに私には言語(記号)としての「山芋」が先にありましたね。
桂田さんやツマさんが「見たまま」を描くというお話が、絵を描かない私にはかえって新鮮で、絵を描くことの本質を確認させてもらったような気がします。思えば、「山芋」を尻尾からでも胴体からでも、どこから描いてもおかしくないわけで、「なおいぎれ」だって裏からでも表からでも良いわけですよね。画家は観たままを、非言語思考で描く…なるほど!でした。あ、レオナルドの鏡文字なんていうのも、それなんでしょうねぇ。

で、絵を観る場合ですが、確かに初めは非言語思考で観ていますが、どうしても言語的に再構築しようとしてしまいますね。抜け落ちる部分がある...というご指摘は、私的に凄〜く実感です(^^;;;

投稿者 : June | 2005年12月8日 00:35


すぴさん、
あ、いえいえ、なんだか違う方向に話がそれてますが・・・まぁ、お気になさらず楽しんでいただけると嬉しゅうございます。


ツマさん、
尾頭付きの魚の例えがツマさんらしくて面白いです! で、なるほど、ちょっとズレますけどモノの向きとして日本人に自然な向きがあって、親しみのある野菜などもいわばその定石からはずれた向きだと違和感があると・・・思考の問題とは別のコモンセンスの問題ということになりますか。となると、逆にそういう部分まで想起してもらえるというのはリアリズムとしてはある程度成功している・・・と言えればいいなぁと、思ってしまいました。


Juneさん、
いやはやなんともどんくさい書き方になってしまいお恥ずかしい限りです。Juneさんにいただいたコメントをいじりまわすような形になってしまいゴメンナサイです。
見たままを非言語思考で描くというのはリアリズムの基本姿勢と言っても良いかもしれません。逆に言語思考で描くのは記号の組み合わせみたいになって、模式図やマンガなどの情報伝達が主目的のメディアにおける姿勢ですね。先史時代の洞窟壁画とか象形文字に思いを馳せたくなってしまいます。
で、レオナルドの鏡文字は・・・よくわかりませんけど、実は暗号だったとかって説もありますよね。単に左利きだからという説明もありますけど、なんか腑に落ちないんですよね。ここでの話の流れだと文字の造形に注目して敢えて鏡文字にした・・・タイポグラフィーとしての意識がレオナルドにはあって、その思考実験をしてみた・・なんてことも言えるでしょうか。

言語化して抜け落ちる部分というのは、一本の木を見る場合を例にしますと、「幹」「枝」「葉」と分解してそれぞれをその言葉のステレオタイプに当てはめることで効率的に認識できるけれども、どんな幹で枝がどうなっているのか、それらの境界部分はどうなのか、重心や重力など見えないけど存在感の基本になる部分がどうなのかというのが認識されにくい、という意味合いで用いました。もし画家がそのあたりをとても意識して表現しても見る側の認識から抜け落ちるとちょっと悲しいかなぁ・・なんて思うんですよ。でも、言語的に認知されなくても存在感や生命感として印象に残れば成功だと言えますけど。非言語を言語的に説明するのって難しいですね。あ、その点では、Juneさんの鑑賞記の記述は非言語知覚まで言及されていて凄いなぁと、とても感心しております。

投稿者 : 桂田 | 2005年12月8日 11:51


今さらのコメントでごめんなさい。
少し思うことがあったので。

視覚の言語化に関しては、製品設計の世界(工業界?)では一般に言われていることです。
もしかしたら世の中一般に言われていることかも知れませんが、サービス業などと違い、特にモノという形を扱う世界では、不良の解析や新製品のブレイクスルーを考えたとき言語化によって失われてしまう情報があるので注意しなさい、と。
ま、できていない設計者がほとんどですがね。

ちなみに自分が書く場合は、書きやすいかどうかよりも見たふ人が不自然に思わないか(場合によっては不自然に思わせるため)っていうのを考えている気がします。文字も模様としてみて、って感じで描いてる気がしますね。

投稿者 : いわせ | 2005年12月10日 09:07


いわせさん、
製品設計のプロフェッショナルのご意見、ありがとうございます。なるほど、設計だと言語化というか記号化ですね。不良の解析、新製品のブレイクスルー(おお! いかにもプラクティカルな響き・・・)に欠かせない情報整理ではその過程で失われる情報に対する注意には神経を使いそうですねぇ。

投稿者 : 桂田 | 2005年12月10日 23:59


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